党首日誌
Daily report.

   

「もしも読む人は、掃き溜めに捨て置かれた新聞に目をとめる位のつもりで、
あまり真剣に読まないで頂ければ幸いだ。
どうせロクな事を書きはしないし三日坊主だろうから。」

                     党首日誌 アスガルド42年4月4日 より抜粋

真面目な文体に騙されちゃいけませんぜ
これもお遊びの一環ですんで

 

 

アスガルド46年2月16日 0225時

ながらく手を付けていなかった日誌をひさしぶりに開いてみる。
マイソシアではもう4年近い歳月が経過してしまった。

現実時間で8月26日は、我が卍党創立一周年記念日である。
一年前、党員ren・ダガ両名とたった三人で、
何の前触れも無く、何の準備もなく、卍党結成案をまとめたのが
誇張なしでつい昨日のことのように思い出される。

この一年で、マイソシアの様子も現実(リアル)の事情も
随分変わってしまった。

リアル。
何と煩わしく生活臭ただよう響きか。

リアルなくして幻想郷での生活はありえない。
リアルあればこそ我々の幻想は維持できた。

だが残念ながらここへきて
リアルによって幻想の中での生活が忙殺される事態に至った。

正直に言う。
確かにエリンと呼ばれる別の地で、数ヶ月冒険と生活とを楽しんでもいた。
しかし今現在はそんな理想郷を求める逡巡すら許されない状況になった。

リアルだ。現実世界が要求する時間と魂の配分は残酷だった。
もう以前のように一日をルアスの民家で過ごすことはできそうにない。

しかし、憂えることはない。
党員諸兄よ、あなたがたの党首は本当にどうしようもなく諦めが悪い。

過ごす時間はなくとも現れる機会は逃さない。
共に行動する時間はなくとも、思いを馳せることは忘れない。

そこに立っている事。
そこに存在している事。
そこで耐えている事。
そこで思うという事。

それが卍党、そして党員の必要十分な存在証明。

 

 

 


アスガルド42年5月12日 2231時

意思の疎通はとてもとても難しい。

意思の疎通が可能な状態とは、つまり個人と個人の間で
小さな暗黙の了解が数多く成立している状態ではないだろうかと考えてみた。

暗黙の了解を増やすには、おそらくいくつかの必要なものがあって
それは長く付き合う事だったり、相手をより深く理解しようとする努力だったり、
あるいは関係が切れない程度に揉める事だったりするのかもしれない。

しかし、一番必要で手っ取り早いのは共同作業を行うことだと思う。

共同で作業を完遂する事には、相互理解を深める条件が多く含まれている。

相手のメリットとデメリットが自分のそれとどう関わるか。
相手の目的・目標が自分のそれと合致するか。
相手の選ぶ手段はどんなものか。

自分の言動がどう受け取られているか。
自分の意志を間違いなく伝えられているか。
自分の立場を守りながら相手の立場も守れるか。

挙げればきりがない。

そして、もちろん障害となる物事も多い。

障害の大きさと質のために失敗に終わることや
理不尽な目に遭って人を信じ許すことが出来なくなること、
自分が踏み込む事を許してもらえない領域に出くわすこと、またその逆。

こちらもきりがない。

以前、「所詮人間は完全に分かり合う事はない」と
非常に聞き慣れた、かつ真理であるこの手痛い言葉を頂戴したことがある。

しかし、
「だから分かり合おうとする事は無駄だから止めよう」
と続くわけではない。

我々は分かり合える「部分」を寄せ集めて
どうにかこうにか関係を保っている、という事だ。

一度そうした現実を見つめてから前向きになって考えてみる。

取り繕っている割には意外なほど多くの他人と
関係を保っている自分に驚かないだろうか?

分かり合えないのが当然の、この現実の中で
数多くの仲間と知り合いに出会えた事に深く感謝している。

分かり合えないのが当然である事を忘れなければ
分かり合う時が必ず来ると信じる。

さて、それでは今日も徒党を組んで狩りに出かけようか。
それとも卍党らしく、お互いの活動を観察しながら一人旅に出ようか。

 

 

 


アスガルド42年4月4日 1512時

本日より党首による一方的な文章、党首日誌を記録してみる事にする。
アスガルドにて何か思う事があるたびに、日誌を書こうか書くまいかと
ずっと考えていた。

こういう場所にものを書くからには、見る人間を多少意識しはするものの
要するに、党首の戯れ言を吐きたいだけ吐くための場所である。

もしも読む人は、掃き溜めに捨て置かれた新聞に目をとめる位のつもりで、
あまり真剣に読まないで頂ければ幸いだ。
どうせロクな事を書きはしないし三日坊主だろうから。

 

さて、せっかくの一回目なので卍党を何故作ったかを少し思い返してみる。

そもそもの理由はキャラクター義賊吉光の頭上に「卍党」の二文字を掲げたい
というのが単純な理由ではあったのだが、その悲願が延びに延びていく過程で
少しばかり理由が増えた。

淡々とスキルレベルを上げる毎日を送っていた耳に聞こえてくる世間話は
悲しく理不尽な出来事のものが多かった。
マイソシアはそれほど絶望的な世界なのか?という自問自答は常にあった。

そして今も所属している親睦ギルド峠の茶屋。
とてもいいギルドだった。
当時弟子と二人で立ち上げていた親睦の卍党を、合併という形で
拾い上げてもらった大恩はたとえマイソシアが滅びても忘れない。
さまざまなドラマと揉め事を味あわせてもらえたのは、この上ない喜びだ。

そうした内外の出来事を通して、より強く思うようになっていた。

侵略を受けようがパス抜きに遭おうがMPKされようが悪い噂が流れようが
堂々たる態度でもってそれらを笑い飛ばし存在し続ける強さ。
去る者も、それを見送る者も、笑顔で別れられる潔さ。
仲間であれば信じ、許し、尊敬しあう愛情と優しさ。

どんなに厳しい風評や狩場や立場にあっても、
そこに居ることが当然であるかのように存在できる強さが欲しい。
そうする事ができる仲間が欲しい。

そういう場所を、小規模でもここアスガルドロオ鯖には築けないものなのか?
誰か、同じ世界を求めている人間は居ないものか?

それが卍党を設立した理由の最たる物である。

…残念ながら、現在のところ理念に負けてしまっているのが実情である。
しかし、設立当初から体現されている、煌く理念の片鱗を
党首は常に凝視し未だ見失ってはいない。

それがある限り、卍党は卍党であり続けることができる。

 

 

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